北海道 Touring 2003

全てのライダーの聖地、北海道へ
DUCATIは北を目指す
↑小清水原生花園の駅からオホーツク海を望む。学生時代、8月中旬に訪れ、ほとんどの花が終わっていた記憶がある。今回は7月中旬だったが、やはりあまり花は咲いていなかった。地元の人の話では、年々、花の規模が小さくなっているらしい
←北海道の空に現れる雲もまた雄大である。私が好きなのは刷毛でうっすらとひいたような雲だ。日没が近づくとどこを走っていても、とりあげずバイクを止めて、空を見上げる。
→大地と雲を染めて太陽が沈んでいく。何万年も何百万年も繰り返される光景。これを見るために、また来年も北海道を訪れるだろう
←夕陽の家から見た、網走湖畔の夕焼け。カナディアンカヌーを借りて、湖に漕ぎ出すこともできる
■夕陽を目指して走り続ける

北海道には夕陽の名所が多い。遮る物がない広大な大地や水平線がいたるところにあるからだろうか。よくよく考えれば、夕陽なんてどこで見てもそんなに代わり映えのするものではない。変わっているのは周りの風景と空、雲、風、音、匂い、そして自分自身の気持ち。太陽が昇ってくる瞬間も強烈であるが、太陽が沈み周囲が闇につつまれていく光景も、心に響く。太陽神ラーを信仰し、死と再生を信じて、巨大なピラミッドを築いたエジプトのファラオの気持ちも分かるような気がする。地上最強の権力を手にしながら、大自然の前に人間はほとんど無力。太陽が沈むだけで、暗闇が訪れ、それをどうすることも出来ない。現代においても、世界最先端を突き進むNew York Cityで大停電が起こり、電力を失った都市は闇に包まれ、人々は自分たちの無力さを思い知らされた。

夕陽を見ていると、今日何をなしえたのか。明日、何をすべきなのか。来年はどうするのか。5年後は… と普段考えないようなことを想う。北海道をしゃかりきになって走るのもいいが、アクセル全開で真っ白になった頭で、夕陽を見ると、何か発見があるかもしれない。それもまたツーリングの醍醐味ではないだろうか。

夕陽の家のサウナでまったりに進む