二輪魂

遙かなる高みを目指し、もがき苦しみながら
Monsterを走らせ続ける男の挽歌

第十五輪 あちら側

□コメント
世界放浪を「あちら側」と言う。こちら側とあちら側の話

14話を引きずって書かずにおられなかった1本。

「No.14:10万kmの先」をきっかけにGONさんの驚きの過去が判明した。
読者の皆さんもさぞ驚いたことであろう。 

ライダーでなくても誰でも考えたことはあるだろう「あちら側」の世界。
せっかくなので今回はこの話題をしようと思った。


□本文
と言っても私はあちら側を体験してはいない。日本縦断野宿ツーリングと言っても12泊13日の「長めのロングツーリング」でしかない。金と時間があれば誰でも出来るし、帰る所もある。

読んでる若い人、ツーリングらしいものをしたことない人から見れば夢のような話に見えるかもしれないが全然「こっち側」である。

では「あちら側」とは何だろう?とあらためて考えると・・・・

1)全てを捨てる覚悟で旅立つこと。
2)帰ってくることが無いかも知れない旅立ち。
3)帰ってきたもののあちら側に魅了され魂は常にあちら側である人生
などと言えるような気がする。

1)の段階で捨てるものがなければ(説得を必要とする人もなければ)そう難しい事では無いような気がする。現に猿岩石以降は海外放浪する若者が急増したとの話も聞いた。
しかしとりあえず社会人になり、友人や恋人や、ましてや家族や子供がいればもうほとんど無謀に近い決断になってしまう。そして「あちら側」への未練だけが残り、いづれ忘れてしまう。

そして2)。
これは実際は1)の時には全く考えてないと思う。
(私は国内ツーリングでも「生きて帰る」ことを目標の1番にしてましたが(^^;)
けれど長谷川恒夫さんも植村直巳さんも結局は帰らぬ人となってしまった。
植村直巳さんにいたっては
「これ(マッキンリー)を最後にして日本でアウトドアースクールを作り余生を日本で暮らす」と決めていた最後の登山だった。マッキンリーは一度踏破している。なのに何故最後にマッキンリーに行かなければならなっかのか?
あちら側に魅了された人間は二度とあちら側を忘れることは出来ない。そう、たぶん死ぬまで終わらない。

登山とツーリングではちょっと比較にはならないが、世界ツーリングともなればかなり危険である。
無難にハーレーでアメリカ横断したら今度はオフ車でシルクロード制覇、そしたらオーストラリアもアフリカも行きたくなる。

・・・あぁ、そう言えば北極点にバイクで到達した日本人ライダーがいる。
<<「地平線への旅/バイクでやったぜ北極点」風間深志、文芸春秋(1989)新宿図書館>>
余談になるがその当時、Internetの「イ」の字も無い。しかしこの冒険のリアルタイム情報をある電話番号に電話すると聞くことができた。
「ただいま北緯87度30分。天気は快晴。・・・」などと現地のリアルタイム情報を日本でまとめて1時間おきに電話で聴けるシステムだ。私は会社からこっそり電話して聞いていた。
ある日の午後、「風間深志、○時○分。北極点到達!」を聞いた時は思わず歯を食いしばって喜んだ。
30分間は興奮して仕事が手に着かなかった事を覚えている。(しかもその興奮を誰にも言えない(笑))
(その後にオーストアリアに旅立つ彼に会ったから、ホントもう少しで行きそうでした(^^;)

とにかくあちら側は深い。いつこちらに戻って来るか?戻れるのか?その判断は難しいものだろう。

そこで
3)帰ってきたもののあちら側の魅了され魂は常にあちら側である人生となるわけだ。

植村直巳さんもマッキリーから生還していたとしてほんとにそれが最後の登山になっていただろうか?
風間深志さんは今何をしているのかな?「ひろこの」は病気で他界したと聞いている。
(注:[ひろこの] 当時女性ツーリングライダーとして有名だった。上野の「ひろこの」ショップにも行ったことはあるが今はもうないのかな?)

もちろん、あちら側を経験してるからと言ってこちら側でまともな生活が出来ないなんてことは無い。
あちら側の経験をいかすかどうかは別にして立派に社会人してる人はいるでしょう。
しかし「その保証」は無い。
この不景気のご時世、サラリーマンやってても「保証」なんて何もないが少なくとも私は犬を飼うために一戸建てを持ち、DUCATIとB4があるのでかなり幸せを感じている。
何が「立派」なんて他人が決めることでは無い。腐らない日々を持てれば良いと思う。

さて。ここまで話して「あちら側」がいかに魅力的で困難で遠いものだと思われたのでは無いだろうか?
しかし、今回のコラムで一番言いたいことをこれから書く。
それは
「実はあちら側なんてすぐそこにあり、誰でも体験できる」
と言うことだ。

こう思ったのはまさしく今年、FISCO→広島高速750km移動の途中だった。

FISCO→広島はツーリングでも「旅」でもなんでもない。ただの「移動」に過ぎなかった。
ただ、この歳で高速を700km、10時間以上も走ったことなかったし、1つの挑戦ではあった。
けど、もう1度言うがそれは単なる「移動」であってツーリングに対する期待なんてなに1つ持ってなかった。

長い長い移動。

深夜3時、最終インターまであと100kmをきったとあるSA。
自動販売機も無い。休憩してる車もいない。トイレのみの人気のないSA。(正確にはPA?)ほとほと疲れていた私は数少ない外灯の下にバイクを止めるとその場でヘルメットを枕がわりにコンクリートの上に寝そべった。上下皮なのでコンクリートは痛くない。

はぁー、と深く息をしてふと目を開けるとそこには必然的に夜空が広がっていた。
(あぁ・・・星がよく見える・・・ここは標高が高いのかな・・・)
そよそよとした心地よい風が顔に触れる。

あれ?・・・この感じ・・・この感じは何年ぶりだろう?・・・・
・・・・あぁ・・・・昔も・・・・こんな感じあったなぁ・・・・どこだったっけ・・・・いつだったっけ・・・・・・
・・・・・・・忘れてた・・・・・・・・・・・・星と風とコンクリートがこんなに気持ちよかったなんて・・・・・

 

結婚して12年。その間にツーリングと言えるものは1度しかない。 
1999年のMonsterMeeting-inもちや(富士山裾野のドライブンイン)の帰りに日本海に抜け、どうしても心残りだった能登半島を一周したツーリングは自分の中でも最高のツーリングに部類する。
しかし、ホテルからホテルへの旅は快適で、行程中一度も雨も降らず実に快適なツーリングだった。
そう、そのツーリングはあまりも快適順調すぎた。

10年以上、私は「ツーリング」をしていなかったと気づいた。
能登半島よりも今寝てるコンクリートの上が「あちら側」だった。 

そしてFISCO→広島は「移動」から「旅」へと変わった。

/=== 95'M900BlackFerrariDESUMO DUE 2001.08.24 25000km & LEGACY B4(BE5C) 950km ===/

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